プラハの春本選@2007年5月13日

17年も前のことなのですが、毎年5月になると思い出すことが多いのが下の写真・・・

この写真は、チェコの首都プラハにあるルドルフィヌム(というホール)でリヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を指揮している自分を写したもので、普通の演奏会ではなく、コンクール嫌いの自分が挑戦した数少ないコンクールの1つ、「プラハの春」国際コンクールの本選で撮影されたものです。


本選が開催されたのは2007年5月13日のことで、コンクールに初めて挑戦した時は大学4年生で22歳だった私もこの時は34歳。当時開催されていたほとんどのコンクールの参加資格がなくなる35歳の誕生日を1か月後に控えていました。23歳の頃から全くコンクールに挑戦しなかった10年以上のブランクがあったにも関わらず、初めて挑戦したコンクールで受賞してからの13年間で、2回の受賞と1回のセミファイナリストになれた自分は本当に運が良かったと思っています。


このコンクールはスメタナの命日である5月12日に彼の有名な作品「わが祖国」の演奏で開幕する「プラハの春音楽祭」のプログラムの1つで、コンクールとはいえ、ほぼ満席の世界的に有名なコンサートホールで指揮できたことは忘れることのできない大切な思い出の1つです。


ルドルフィヌムはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で、コンクールの時は別の楽屋を割り当てられましたが、後年、プラハ放送交響楽団の定期公演を指揮した時などは、チェコ・フィルの歴代首席指揮者が使ったのと同じ楽屋を使わせてもらい、その歴史の長さを感じました・・というお話はまたの機会に(頑張って書くことにします)。


私は自称晴男(はれお、ではなく、はれおとこ、と読んでください)で、演奏会当日に雨が降ることはあまりないのですが、この本選の日も好天で、当日のゲネプロ後に会場の正面入り口を写した写真が残っていたのであげておきます。

本選の課題曲は、私が指揮した曲の他にストラヴィンスキー「火の鳥組曲(1919年版)」とヤナーチェク「タラス・ブルバ」の計3曲がコンクールに応募する段階で事前に発表されていて、当日演奏する曲はセミファイナル後のくじ引きで決まりました。正直言うと、私自身はウルバンスキー君が指揮した火の鳥を引き当てたかったのですが…元々くじ運が悪い私のことですから、思い通りになることはなく・・・


某民放局でかつて放送されていた有名な某クイズ番組の「知力・体力・時の運」ではありませんが、時の運に見放されて思い通りの選曲にならなくとも、その音楽をしっかり鳴らさなくてはならない・・・そんなコンクールの醍醐味に翻弄されたプラハでの出来事、でした。