イタリアツアー~ホワン・モンラ君のこと
2012年12月、チェコ・シレジア地方オストラヴァの名オーケストラ、ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団のイタリアツアーに指揮者として同行しました。この年の12月は様々な要素が重なってスケジュールがかなりハードになってしまい、月初にドイツから日本へ移動→リハーサルと演奏会+別の演奏会のリハーサルを終えてドイツに帰宅→ 荷物を入れ替えてそのままイタリアへ→イタリアツアーが終わったら帰宅して荷物を入れ替えて再び日本へ飛び、到着翌日から大阪大学交響楽団100回記念定期公演のリハーサルと演奏会・・こんな感じの過密スケジュールでしたが、どうにか予定を調整して同行したツアーはとても楽しく、パリから日本へのフライトが(初!)ファーストクラスにアップグレードしたおかげで、ひどい時差ぼけや、旅疲れもなく大阪大学交響楽団の演奏会を乗り切ることができたことはラッキーでした。
当時は写真を撮ることにあまり熱心ではなく、わずかな写真しか残っていない上に、とてもイタリアツアー中に撮ったとは思えない被写体ばかりだったのですが、唯一、モデナの劇場でリハーサル前に写した写真が残っていたので、今回はそれを載せようと思います。
TEATRO COMUNALE PAVAROTTI-FRENIという名のとても美しい内装の劇場でした。
ウェーバー 「魔弾の射手」序曲
サン=サーンス ヴァイオリン協奏曲第3番
ドヴォルザーク 交響曲第6番
この3曲がツアーのプログラムでしたが、写真で指揮台の横に写っているのはサン=サーンスのソリストだったホワン・モンラ君だと思います。彼と最後に連絡をとったのは数年前のことなので情報が古いかもしれませんが、中国の名門上海音楽院の准教授(就任当時史上最年少!)で、第1回仙台国際音楽コンクールの優勝者です。
この時彼は32歳、私は40歳だったわけですが、若くても確固たる意志と自信を持ち、素晴らしい技術に裏付けされた彼のサン=サーンスに深く感銘を受けたことを覚えています。
・・と、ここまでの文章は11月10日(2023年)以前に下書きしておいたものなのですが、コロナ後初の大陸間移動を必要とする客演で、モンラ君と(まさかまさかの!)突然の再会を果たしてしまいました!
2012年ツアー当時の情報も記載されていますが、せっかく書いたので上の文章は修正せずにこのまま追記します。
元々は「過去の活動を振り返った備忘録として書き綴る」という目的で始めた「川本貢司の雑記帳」の中ではかなり新しい過去の内容になりますが、改めまして・・
コロナ後初の海外客演は中国貴州省貴陽市で、2023年11月10日の貴陽交響楽団定期公演でした。コロナ前最後の海外客演も貴陽交響楽団だった事を思うと、今回のモンラ君との再会に特別な縁を感じます。オールシベリウスプログラム(協奏曲以外にはフィンランディアと交響曲2番)で、元々は別のソリストが予定されていたのですが、初日リハーサル中に「ソリストキャンセル」の一報が入り、数時間後のリハーサル終了と同時にソリストがモンラ君に決まったと知らされました。楽団副社長から彼の経歴について説明があったのですが、2012年のイタリアツアーの事を伝えた上でその説明を遮って、当初予定されていたソリストとの共演がなくなったことは残念だが、11年ぶりの彼との再会、共演はとても嬉しい、という思いを伝えて事務局を後にしました。
ホテルに戻った後、チャットツールを使って彼にメッセージを送り、翌々日の彼の貴陽到着とリハーサルを楽しみに2日間を過ごし・・
再会当日はステージの上で11年ぶりの再会を喜び、打ち合わせをすることなく早速シベリウスのオーケストラ合わせ。2012年もスケジュールの都合上、打ち合わせ無しのGP本番だったことを思い出しながらリハーサルを進めました。
今回の再会は1日半の出来事でしたが、リハーサル、GP、演奏会を通じて音楽で語り合い、共にした夕食では過去のツアーの思い出や、近況報告、そして未来のことなどを言葉で語り合い、それはそれは充実した、とても楽しい時間でした!
コンサートの休憩中(協奏曲演奏直後)に上の写真を撮った後は、彼の素晴らしい演奏の余韻に浸りつつ「11年後ではない近い未来の再会」をお互いに誓い合い、後ろ髪を引かれながら自分はステージへと戻って行きました。
出会いたいと思って出会えるものではない素晴らしい音楽家との良縁。偶然のことだったとはいえ、今回の再会は2012年に繋がったモンラ君との良縁を再確認する出来事になりました。誓い合った通りの近い将来の再会を期待し、2023年の出来事や音楽を反芻しつつ、静かに2023年の年の瀬を過ごしたいと思います。
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